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山下健一郎 ♂
第二次ベビーブーム時に一人っ子として関東のベッドタウンの郊外に生まれる。
虫を追っかけたり、クワガタが死んで泣いたり、犬と小競り合ったり、パリパリのエロ本を拾いまくったり、バケツで大量のザリガニを腐らせたり、マンホールを探検して転んだり、デカいドブに落ちたり、覚えたてのチャリの手放し運転で車にぶつかったり、ガンプラを万引きしてつかまり泣きじゃくったり、という昭和の郊外の平均的ボンクラとして育つ。
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小学生の時、祖母の家から(牛小屋)から子猫をもらう。
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ある日学校から帰宅すると猫がいなくなっており、置き手紙と「ガチャガチャドラえもん」が置いてある。
置き手紙には「このドラえもんを子猫だと思って我慢しろ」ということが書いてある。
父親が今更猫を返してこいと言ったもよう。(以後いまに至るまで根に持つ)
子猫はいっぱい仲間が居る牛小屋に戻ったらしいので一安心。
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1代目柴犬♂を迎える。やたら身体がでかく、今の可愛い顔のとは違う古風な犬。懐いているのに頭をなでると噛み付くワイルドさ。
(噛み付くのはブリード先の環境のせいかもしれないとも今になって思ったりして...色々考えてしまいますね)
12指腸に虫がいると診察され、近所の動物病院に虫下しを処方される。
なんだかどんどん調子が悪くなって再度受診すると、薬の副作用なので問題無いと診断される。
結果、一歳半で泡ふいて死亡
以後今に至るまでこの病院に殺意すら抱いている。
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2代目柴犬♂を迎える。少し病弱な小柄な男の子。頭は悪いがテニスボールと松ぼっくりが大好きな憎めない可愛いヤツ。
小柄な身体に甘いマスクのヤツは脱走したら数匹いる彼女の家に疾風がごとく突撃するたらし。
女たらしなヤツは人たらしでもあり、僕が実家からアパートに帰ろうとすると(当時学生)足に抱きついて「行かないで、行かないで」としていた。
ふふ、可愛やつよ。(ちゃんとたらされている)
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実家が新潟の柏崎に引っ越す。犬と別れる(当時RCのカバーズや広瀬隆にハマっていたこともあり、少しびびった)
で浪人生の分際で一人暮らしになり、生活費をCDと酒に使う。
勉強は完全に辞めた分、絵はやたら真面目に描いてましたよ。
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2浪の末、某国立美術大学日本画科に受かるが、学校にも行かずバイトしまくり、ボロいバイクで日本中走り回ってこけまくる。
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バイク盗まれる、すぐ買う、すぐこける、を繰り返す。
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見ず知らずの実家(新潟) で二代目柴犬に近所を案内しておらう。結果3時間のスペシャル散歩に付き合わされる。土地勘がないので犬に従うしか無い。
ふふ、可愛いやつよ。
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父、くも膜下出血でぶったおれるが、奇跡の復活。介護時、下半身の造作に僕と父との遺伝を自覚し、笑うと同時に恨む。
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無駄に大学院まで行って修了。長年やってた絵の先生も止めて路頭に迷う。
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世間は大不況。半分死んでる頃、友人の紹介で老舗の提灯屋に。
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預金通帳が乱れ飛ぶ提灯屋の家族喧嘩にどん引き。おかみさんはジャガーで夜な夜な夜遊び。親方は愚痴ばかりでまともに仕事せず、若頭は四六時中爆発寸前。
なんだか映画の美術の話を頂いたので、迷いなく辞める。
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手描き看板やら壁画やらなんでもやりながら節操なく筆で稼ぎ、全国津々浦々。それなりに充実。
恥知らずにもギター持って数本ライブハウスでがなったりする。生きてるおもちゃとして友人達にそれなりに喜んで貰えたと自負。
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17歳で2代目柴犬は天国に。当時としては長寿だと思う。よくがんばった。
本当にいろいろありがとう。君のおがげでうちの家族はバラバラにならなかったんだ。
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旅鴉をつづけつつも、コマ撮りのミニチュアの美術の塗装などから流されるままにcmの美術の塗装へ。店舗などの特殊塗装も金になりゃ何でも受ける。
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忙しくそれなりに充実していたが左官をしてるとき、ハッと昔絵を描いてたことを思い出し、深く考えず肖像画の公募展に。以後色々賞を頂き団体の運営にも携わるが、とにかく釈然としない。
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住居改装のため仕事場を一時実家に。実家は関東に戻って来ました。自転車で毎日通勤50キロ。痩せました。 家なき子になったので、彼女の所に転がり込む。外で描く仕事はほぼ断りウチで出来る仕事に集中。
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実家に3代目甲斐犬♂が来る。仕事場を実家にしてたので小犬の頃から1年半はずっと側に。猟犬の血筋なので若干身構えたが、迎えてみると頭も良く愛情深いとてもいい子。なんだよ、めちゃくちゃ可愛いじゃないか!
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大島旅行中で東日本大震災。大島はそんなに揺れなかった。
実家がホットスポットに。簡易測定器を買って庭を測定するが、庭はまとも。
大事な犬のために高圧洗浄機で自ら除染。
ちなみに近所の植え込みはバッチリ高かった。
僕は諸々忘れない。世間的に収束ムードだがこれっぽっちも収束なんかしていない。
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何故か結婚出来たので2人で新居に。カミさんには本当に感謝しています。
もう、ブレブレに生きててごめんなさい。
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震災後からのモヤモヤはつのるばかり。
この先、僕が人間を描く必要はないのではないかと…
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知人から大学の講師を紹介されるもその大学は2年程で廃校。
生徒が可哀想。色んな問題は流石に書けません。
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カミさんの友人が子猫♀をひろう。でもって引き取る。
ちゃんと猫を育てるのは初めてだが、しょうがない。
ウンチも出来ない子猫の人工保育。とても勉強になりました。
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猫という生き物がとんでもなく面白い事に気付く。
猫を描く事が心から楽しいことに気付く。
この小さな小さな命がこの時から僕の世界に大きな影響を与える事になります。
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猫の絵が溜まったのでどっか出品するとこでもあるかな?と探し、
目に止まったのが今は無き老舗の猫ギャラリーの公募。
結果投票1位を頂いて初めての個展開催。
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この先執筆中、続きます。